いらっしゃいませ。
「INGER」(インガー)は犬鏡月によるイラスト展示・活動情報サイトです。
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ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニアルバム「キセキの渚」
この曲は、ライナーノーツやリンク先のインタビュー等で語られている通り、宮城県女川町で起こったあるひとつの「キセキ」によって生まれたつながりが元になっています。
震災後、その直接のつながりによって出前ライヴを行っていたソウル・フラワー・ユニオン。
私はツイッターでその様子を追ってまとめを作っていました。
Togetter-【ソウル・フラワーみちのく旅団】被災地出前ツアーまとめのまとめ
まとめ作業の途中、あるツイートが目に入りました。
それは、桃梨のメンバーふたりを描いたイラストでした。
描いたのは女川町の高校2年生の女の子。この出前ライヴを見て、いたく感動した様子でした。
とてもあたたかい色使いの、やさしくてとってもいい笑顔の素敵な絵。
なんだかとっても心が揺さぶられて、普段あんまり知らない人に絡んでいったりできない私ですが、思わず非公式RTでコメントを送ってしまいました。
そしたらすごく喜んでくれて、ああ、想いを伝えてよかったなあ。と思いました。
私はその子に何があったかなんてわからないけれど、その子のツイートを見ただけで、相当の過酷な体験をしたのが伝わってきました。
[もう家族が離れ離れになるのはやだ。もう死体見るのやだ。もう友達亡くすのやだ。もう家無くすのやだ。もう地震は嫌だ…]
私の半分くらいの歳のこの子がどれだけ怖い思いをしたんだろう。どれだけ悲しい思いをしたんだろう。
それでもその子の描く絵はとってもやさしくてあったかくて。
もう切なくて涙が出て仕方がありませんでした。
起こった被害が甚大すぎて、メディアからはひとりひとりの声は聞こえてこない。
でも、これだけの思いをした人が、もう何万人何十万人といるのだという事実が改めて真に迫ってきて、はっとした思いでした。
■
その後ツイッターでやりとりするようになって、3ヶ月ほども経った10月のある日、とうとうこの子に会うために女川町に行きました。
早朝鶴岡を出て、バスで仙台へ。そこで友人達と合流して、友人の運転する車で女川へ。
松島を過ぎて石巻に入る辺りから世界が一変していました。
8月に一度訪れた時と違うのは、仮設住宅の建設・入居が進んでいたことくらい。
「あそこうちの両親が入った仮設」と友人のひとりがが指差しました。ちなみに仙台在住のその人のアパートの窓ガラスは地震によって割れたまんま。
彼女が今高校生パーソナリティーとして頑張ってる「女川さいがいFM」のある女川第二小学校で待ち合わせ。車の中で着いた旨をメールして待っていると、ひとりの女の子が転がるようにして走っていくのが見えました。
もしかして…と名前を呼ぶと、その子が振り向いてこちらへ向かって走ってきました。
目をきらきらさせて色白な顔の頬をピンクに上気させたその子は、「お会いしたら飛びついちゃいます☆」と言っていたけど、実際には、一瞬戸惑ったように足を止めました。あつかましい我々はかまわずその手をとってハグ…!
その子を乗せてこの日のもうひとつの目的地、「蒲鉾本舗高政」さんへ。
震災当時からすると「だいぶ片付いた」道を車で行く途中、彼女が「ここにお母さんの美容院があったんです」と窓の外を指差しました。
そこには何もありませんでした。
わずかにコンクリートの土台が残るだけ。
そこは来る時にも通った道で、よそから来た私には「何も無い」としか思わなかった場所。
ショックでした。やっぱり私は何も分かっちゃいなかった。
「何も無い」だなんて、当事者じゃないから思ってしまえること。
そこには確かに彼女や、家族の営みがあった。そこで生きる人がいた。
そんな当たり前のことが、彼女の言葉ではじめて実感できた気がしました。
同時に、彼女が今置かれている状況を、文字のやりとりだけではわからない部分をはっきりと目の当たりにした瞬間でした。
ほんの17歳の彼女が直面している現実。
■
程なく高政さんに到着。
震災で建設が中断していた新工場と新店舗がようやくこの9月にオープンしたばかり。
真新しい立派な建物に、興奮して写真を撮っていたら、見知らぬおじさんが「写真とってくれてありがとう!」と私たちに声をかけ、店の中に入っていきました。
きっと地元の人だったんだろうな。この店のオープンがすごくすごく嬉しかったんだろうな。
店内にてウハウハとお買い物と工場見学、そしてここでは笹かまの手焼き体験ができるのです…!
串に刺された生の笹かまを囲炉裏にかざして10分…焼きたてのかまぼこのそれはもうおいしいったらなかったです。
「あ、かまぼこって魚からできてるんだ」とハッとさせられるようなお味。
目をつぶって食べたら「焼き魚?」って思ってしまうような、濃厚な魚の味。うめえようめえよ…!!
やがてお別れの時間。必ずまた会いに来るよと約束しました。
■
ツイッター上に彼女が上げた一枚の絵からつながった不思議なご縁。
彼女があとから語ってくれたことによると、震災後、初めて描いた絵がそれだったと。
ソウルフラワーさんの出前ライヴを見て、彼女が心動かされて描いた絵。それを私が偶然見つけた形なんだけど、今にして思えば、それは彼女の「私はここにいるよ!」という叫びみたいなものだったんじゃないかな。
彼女が女川からそう叫んだから、縁がつながったんじゃないかな。
昔からずっと続いていて、これからもどこかに繋がっていく縁。
でもきっと待っているだけじゃだめなんじゃ駄目で、縁を引き寄せ、固く結ぶのは、ちょっとした勇気や行動だったりするんじゃないのかな。
これからも、彼女に良いご縁がありますようにと願わずにはいられません。
ムダのように思えた時間も、「こんなことしたってなんにもならない・・・」と思えた行動も、こうやっていつか縁として繋がるのなら、捨てたもんではない。
被害があまりに甚大すぎて、それに対して自分があまりにも無力すぎて、その日もやっぱり思ってしまいました。「私にできることなんてひとつもない」
でも、彼女に会って思いました。「そう思うのをまずやめない?」って。
これから、自分にどれほどのことができるのか、できることがあるのかすらわからない。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていよう。
そう、思いました。
なんだか気後れしてしまってあまり写真が撮れなかったのです。
でもまた行きます。何度でも行きます。
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この曲は、ライナーノーツやリンク先のインタビュー等で語られている通り、宮城県女川町で起こったあるひとつの「キセキ」によって生まれたつながりが元になっています。
震災後、その直接のつながりによって出前ライヴを行っていたソウル・フラワー・ユニオン。
私はツイッターでその様子を追ってまとめを作っていました。
Togetter-【ソウル・フラワーみちのく旅団】被災地出前ツアーまとめのまとめ
まとめ作業の途中、あるツイートが目に入りました。
それは、桃梨のメンバーふたりを描いたイラストでした。
描いたのは女川町の高校2年生の女の子。この出前ライヴを見て、いたく感動した様子でした。
とてもあたたかい色使いの、やさしくてとってもいい笑顔の素敵な絵。
なんだかとっても心が揺さぶられて、普段あんまり知らない人に絡んでいったりできない私ですが、思わず非公式RTでコメントを送ってしまいました。
そしたらすごく喜んでくれて、ああ、想いを伝えてよかったなあ。と思いました。
私はその子に何があったかなんてわからないけれど、その子のツイートを見ただけで、相当の過酷な体験をしたのが伝わってきました。
[もう家族が離れ離れになるのはやだ。もう死体見るのやだ。もう友達亡くすのやだ。もう家無くすのやだ。もう地震は嫌だ…]
私の半分くらいの歳のこの子がどれだけ怖い思いをしたんだろう。どれだけ悲しい思いをしたんだろう。
それでもその子の描く絵はとってもやさしくてあったかくて。
もう切なくて涙が出て仕方がありませんでした。
起こった被害が甚大すぎて、メディアからはひとりひとりの声は聞こえてこない。
でも、これだけの思いをした人が、もう何万人何十万人といるのだという事実が改めて真に迫ってきて、はっとした思いでした。
■
その後ツイッターでやりとりするようになって、3ヶ月ほども経った10月のある日、とうとうこの子に会うために女川町に行きました。
早朝鶴岡を出て、バスで仙台へ。そこで友人達と合流して、友人の運転する車で女川へ。
松島を過ぎて石巻に入る辺りから世界が一変していました。
8月に一度訪れた時と違うのは、仮設住宅の建設・入居が進んでいたことくらい。
「あそこうちの両親が入った仮設」と友人のひとりがが指差しました。ちなみに仙台在住のその人のアパートの窓ガラスは地震によって割れたまんま。
彼女が今高校生パーソナリティーとして頑張ってる「女川さいがいFM」のある女川第二小学校で待ち合わせ。車の中で着いた旨をメールして待っていると、ひとりの女の子が転がるようにして走っていくのが見えました。
もしかして…と名前を呼ぶと、その子が振り向いてこちらへ向かって走ってきました。
目をきらきらさせて色白な顔の頬をピンクに上気させたその子は、「お会いしたら飛びついちゃいます☆」と言っていたけど、実際には、一瞬戸惑ったように足を止めました。あつかましい我々はかまわずその手をとってハグ…!
その子を乗せてこの日のもうひとつの目的地、「蒲鉾本舗高政」さんへ。
震災当時からすると「だいぶ片付いた」道を車で行く途中、彼女が「ここにお母さんの美容院があったんです」と窓の外を指差しました。
そこには何もありませんでした。
わずかにコンクリートの土台が残るだけ。
そこは来る時にも通った道で、よそから来た私には「何も無い」としか思わなかった場所。
ショックでした。やっぱり私は何も分かっちゃいなかった。
「何も無い」だなんて、当事者じゃないから思ってしまえること。
そこには確かに彼女や、家族の営みがあった。そこで生きる人がいた。
そんな当たり前のことが、彼女の言葉ではじめて実感できた気がしました。
同時に、彼女が今置かれている状況を、文字のやりとりだけではわからない部分をはっきりと目の当たりにした瞬間でした。
ほんの17歳の彼女が直面している現実。
■
程なく高政さんに到着。
震災で建設が中断していた新工場と新店舗がようやくこの9月にオープンしたばかり。
真新しい立派な建物に、興奮して写真を撮っていたら、見知らぬおじさんが「写真とってくれてありがとう!」と私たちに声をかけ、店の中に入っていきました。
きっと地元の人だったんだろうな。この店のオープンがすごくすごく嬉しかったんだろうな。
店内にてウハウハとお買い物と工場見学、そしてここでは笹かまの手焼き体験ができるのです…!
串に刺された生の笹かまを囲炉裏にかざして10分…焼きたてのかまぼこのそれはもうおいしいったらなかったです。
「あ、かまぼこって魚からできてるんだ」とハッとさせられるようなお味。
目をつぶって食べたら「焼き魚?」って思ってしまうような、濃厚な魚の味。うめえようめえよ…!!
やがてお別れの時間。必ずまた会いに来るよと約束しました。
■
ツイッター上に彼女が上げた一枚の絵からつながった不思議なご縁。
彼女があとから語ってくれたことによると、震災後、初めて描いた絵がそれだったと。
ソウルフラワーさんの出前ライヴを見て、彼女が心動かされて描いた絵。それを私が偶然見つけた形なんだけど、今にして思えば、それは彼女の「私はここにいるよ!」という叫びみたいなものだったんじゃないかな。
彼女が女川からそう叫んだから、縁がつながったんじゃないかな。
昔からずっと続いていて、これからもどこかに繋がっていく縁。
でもきっと待っているだけじゃだめなんじゃ駄目で、縁を引き寄せ、固く結ぶのは、ちょっとした勇気や行動だったりするんじゃないのかな。
これからも、彼女に良いご縁がありますようにと願わずにはいられません。
ムダのように思えた時間も、「こんなことしたってなんにもならない・・・」と思えた行動も、こうやっていつか縁として繋がるのなら、捨てたもんではない。
被害があまりに甚大すぎて、それに対して自分があまりにも無力すぎて、その日もやっぱり思ってしまいました。「私にできることなんてひとつもない」
でも、彼女に会って思いました。「そう思うのをまずやめない?」って。
これから、自分にどれほどのことができるのか、できることがあるのかすらわからない。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていよう。
そう、思いました。
なんだか気後れしてしまってあまり写真が撮れなかったのです。
でもまた行きます。何度でも行きます。
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