いらっしゃいませ。
「INGER」(インガー)は犬鏡月によるイラスト展示・活動情報サイトです。
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こちらの記事を書いてから月日は流れ、早や数か月…。
1月29日(日)は渋谷原宿脱原発デモに参加してきました。
以下、当日~翌日のツイッターより。
:::::::::::::::
[1月29日]
・とりあえず1時半まで渋谷の宮下公園に行けばいいのよね…? http://t.co/LCVyP1Vb posted at 12:48:11
・出発ー! posted at 14:00:42
・ゴール! http://t.co/I0r948YM posted at 15:46:44
・お疲れ様でーす。 http://t.co/Ck10thnY posted at 16:37:41
・ティシュー貰いました。 http://t.co/YbJZJser posted at 17:41:20
[1月30日]
・無事帰りました。昨日一緒に歩いてくれた皆様、エールを送ってくれた皆様、本当にありがとうございます。 posted at 06:14:51
・昨日秋山理央さんの姿をはじめて拝見しましたが、ガチでイケメンでした。そしてあの身のこなしは紛れもなく忍びの者。 posted at 12:41:59
・昨日「鶴岡は雪どんな感じなの?」と聞かれて上手くこたえられなかったのですが、こんな感じです。 http://t.co/FkCNhSSM posted at 19:21:16
・昨日の渋谷でのデモ。私はそんなにしょっちゅう行ってないので、他 のデモとの違いとか、沿道の反応の変化とかはわからなかったけど、とても歩きやすかったです。怖いことなかったです。デモのベテラン(にならざるをえな かった…)な方々が周りを固めていたからというのもあったと思いますが。 posted at 21:24:28
・ゴール地点ではなんかボーッとしてしまった。満足感?達成感?違う。胸にあったのは焦りにも似た感情でした。 posted at 21:27:27
・よく脱原発デモに対して「自己満足だ」との声が聞かれますが、自己満足だけでもできたらどんなにいいか。 posted at 21:31:30
・1.29渋谷原宿脱原発デモ http://t.co/gItiatka posted at 22:01:44
・1.29渋谷原宿脱原発デモ http://t.co/0brjWVjL posted at 22:02:45
・自分が絶対正しい自信はないし、簡単にいかないことばかりなのも分かってる。それでも私は「やめろ!」と言いに行かないではいられなかったです。 posted at 22:12:29
:::::::::::::::
実はこの前、2011年の6月にも新宿でのデモに参加、この後2月11日の渋谷、原宿でのデモに参加しました。
私、デモに参加する前までは、ゴールした時にもっとこう、「やったー!!!」みたいな達成感があるのかなと思っていたんです。
ところが実際は、ツイッターにも書いたように、焦りのような、空虚なような、不思議な気持ちになりました。
こうしている間にも、困っている人は困ったまま…。
福島第一原発は事故の収束には程遠い状況であり、被爆労働は続き、事故によって奪われてしまった人々の故郷は相変わらず立ち入ることができず、避難生活を余儀なくされている人の状況は改善せず、風評被害や無知による差別は止まず、被災地の復興は進まない。
その事実は変わらない。歩いただけじゃ、変わらない。
そう思うともうたまらない気持になりました
では、私のしたことは無駄だったのか?
大枚をはたいて上京し、2時間ほど歩き、とんぼ返りしてへとへとになって翌日会社へ行く。
そこまでしてやることなのか?
やることだと思いました。
そしてこれからもやろうと思いました。
だって、この理不尽で不条理な世の中で、なんの抵抗もせずに死んでいった、なんてことになるのは絶対に嫌なのです。
明確な答えは出ません。逆に、原発をとりまく現実を知れば知るほど、断言できることが減っていく。
壁は大きくて、分断される人々の溝はどんどん深くなっていく。
いったいどうやったら、この国は原発をあきらめてくれるのか。
せめて、声を上げに行こうと思うのです。
街頭で、名もない頭数になって、プラカードを掲げて。
「生きたい!生かせ!殺すな!」と。
1月29日(日)は渋谷原宿脱原発デモに参加してきました。
以下、当日~翌日のツイッターより。
:::::::::::::::
[1月29日]
・とりあえず1時半まで渋谷の宮下公園に行けばいいのよね…? http://t.co/LCVyP1Vb posted at 12:48:11
・ここでええのかな…。 posted at 13:49:27
・自分で作ったプラカードを首から下げるという羞恥プレイなうなので、見つけ次第保護してあげてください…。 posted at 13:54:46
・ゴール! http://t.co/I0r948YM posted at 15:46:44
・お疲れ様でーす。 http://t.co/Ck10thnY posted at 16:37:41
・ティシュー貰いました。 http://t.co/YbJZJser posted at 17:41:20
[1月30日]
・無事帰りました。昨日一緒に歩いてくれた皆様、エールを送ってくれた皆様、本当にありがとうございます。 posted at 06:14:51
・いろいろ思ったことがあるのですが、まだ上手く書き表せません。 posted at 06:15:47
・昨日「鶴岡は雪どんな感じなの?」と聞かれて上手くこたえられなかったのですが、こんな感じです。 http://t.co/FkCNhSSM posted at 19:21:16
・昨日の渋谷でのデモ。私はそんなにしょっちゅう行ってないので、他 のデモとの違いとか、沿道の反応の変化とかはわからなかったけど、とても歩きやすかったです。怖いことなかったです。デモのベテラン(にならざるをえな かった…)な方々が周りを固めていたからというのもあったと思いますが。 posted at 21:24:28
・ゴール地点ではなんかボーッとしてしまった。満足感?達成感?違う。胸にあったのは焦りにも似た感情でした。 posted at 21:27:27
・よく脱原発デモに対して「自己満足だ」との声が聞かれますが、自己満足だけでもできたらどんなにいいか。 posted at 21:31:30
・そうだ、写真撮ったんだ。(タイミング掴めなくてリアタイツイート出来ず) http://t.co/kRPXZnFc posted at 21:45:14
・1.29渋谷原宿脱原発デモ http://t.co/0brjWVjL posted at 22:02:45
・自分が絶対正しい自信はないし、簡単にいかないことばかりなのも分かってる。それでも私は「やめろ!」と言いに行かないではいられなかったです。 posted at 22:12:29
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実はこの前、2011年の6月にも新宿でのデモに参加、この後2月11日の渋谷、原宿でのデモに参加しました。
私、デモに参加する前までは、ゴールした時にもっとこう、「やったー!!!」みたいな達成感があるのかなと思っていたんです。
ところが実際は、ツイッターにも書いたように、焦りのような、空虚なような、不思議な気持ちになりました。
こうしている間にも、困っている人は困ったまま…。
福島第一原発は事故の収束には程遠い状況であり、被爆労働は続き、事故によって奪われてしまった人々の故郷は相変わらず立ち入ることができず、避難生活を余儀なくされている人の状況は改善せず、風評被害や無知による差別は止まず、被災地の復興は進まない。
その事実は変わらない。歩いただけじゃ、変わらない。
そう思うともうたまらない気持になりました
では、私のしたことは無駄だったのか?
大枚をはたいて上京し、2時間ほど歩き、とんぼ返りしてへとへとになって翌日会社へ行く。
そこまでしてやることなのか?
やることだと思いました。
そしてこれからもやろうと思いました。
だって、この理不尽で不条理な世の中で、なんの抵抗もせずに死んでいった、なんてことになるのは絶対に嫌なのです。
明確な答えは出ません。逆に、原発をとりまく現実を知れば知るほど、断言できることが減っていく。
壁は大きくて、分断される人々の溝はどんどん深くなっていく。
いったいどうやったら、この国は原発をあきらめてくれるのか。
せめて、声を上げに行こうと思うのです。
街頭で、名もない頭数になって、プラカードを掲げて。
「生きたい!生かせ!殺すな!」と。
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1月下旬~2月中旬にかけて3回も東京に行くという恐ろしい所業をしておりました。
か、金が…!
■
まず1月22日【ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン】ニュー・ミニ・アルバム『キセキの渚』発売記念地方巡業 ~アコースティック編~@代々木ザーザズー
ソウル・フラワー・ユニオンのアコースティック別働隊のアコパル(中川敬・リクオ・高木克)は数年前の仙台retroBackPageで見て以来!
「男はつらいよ」のテーマが流れる中、メンバー登場。自然に合唱が発生(笑)。中川さんも口ずさんでおります。ふんとぉお~どぉりょくぅのかいぃ~もぉ~なくぅ~♪
んで、アレです。中川・リクオ・克の格好よさに宇宙の法則がちょっとずれたね。
リクオさんが唄う「愛燦々」「夜霧よ今夜もありがとう」「ミラクルマン」「アイノウタ」…聴きたかった曲ばかり!
そして東北の出前ライヴの鉄板レパートリーの「おいらの船は300とん」「斎太郎節」「港町ブルース」
アコパルだから椅子席だろうと思っていたらまさかのスタンディング。
でもスタンディングで良かった。汗だくになるまで踊ってしまったもの!
回るミラーボールにメンバーから「ナイスボール!」の掛け声。
ひとりごとを拾うマイクに、中川・高木のダックウォークも飛び出して、ダブルアンコールに「アンパンマン・マーチ」!!
放つその音がキラキラした光の粒のよう。その光をすうっと心に吸い込んで、ライヴが終わったときにはとてもあたたかいきもちでした。
それにしても中川さんの声はどうしてあんなに良いのかな。いつまでも聞いていたくなる。熱を帯びて力強くて、厚みと艶があって、それでいてどこか人懐っこい。
■
ライヴの余韻に浸る間もなくその日の夜行バスで帰るためそそくさと会場をあとにしました。
それでも、普段お目にかかれない方たちに会場でお会いすることができてとても嬉しかったです。
ありがとうございましたー!
ちなみにこの時の別れの挨拶は「また来週ー!」でした。
何故「また来週」なのか。怒涛の江戸行脚【デモ編】に続きます。
か、金が…!
■
まず1月22日【ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン】ニュー・ミニ・アルバム『キセキの渚』発売記念地方巡業 ~アコースティック編~@代々木ザーザズー
ソウル・フラワー・ユニオンのアコースティック別働隊のアコパル(中川敬・リクオ・高木克)は数年前の仙台retroBackPageで見て以来!
「男はつらいよ」のテーマが流れる中、メンバー登場。自然に合唱が発生(笑)。中川さんも口ずさんでおります。ふんとぉお~どぉりょくぅのかいぃ~もぉ~なくぅ~♪
んで、アレです。中川・リクオ・克の格好よさに宇宙の法則がちょっとずれたね。
リクオさんが唄う「愛燦々」「夜霧よ今夜もありがとう」「ミラクルマン」「アイノウタ」…聴きたかった曲ばかり!
そして東北の出前ライヴの鉄板レパートリーの「おいらの船は300とん」「斎太郎節」「港町ブルース」
アコパルだから椅子席だろうと思っていたらまさかのスタンディング。
でもスタンディングで良かった。汗だくになるまで踊ってしまったもの!
回るミラーボールにメンバーから「ナイスボール!」の掛け声。
ひとりごとを拾うマイクに、中川・高木のダックウォークも飛び出して、ダブルアンコールに「アンパンマン・マーチ」!!
放つその音がキラキラした光の粒のよう。その光をすうっと心に吸い込んで、ライヴが終わったときにはとてもあたたかいきもちでした。
それにしても中川さんの声はどうしてあんなに良いのかな。いつまでも聞いていたくなる。熱を帯びて力強くて、厚みと艶があって、それでいてどこか人懐っこい。
■
ライヴの余韻に浸る間もなくその日の夜行バスで帰るためそそくさと会場をあとにしました。
それでも、普段お目にかかれない方たちに会場でお会いすることができてとても嬉しかったです。
ありがとうございましたー!
ちなみにこの時の別れの挨拶は「また来週ー!」でした。
何故「また来週」なのか。怒涛の江戸行脚【デモ編】に続きます。
ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニアルバム「キセキの渚」
この曲は、ライナーノーツやリンク先のインタビュー等で語られている通り、宮城県女川町で起こったあるひとつの「キセキ」によって生まれたつながりが元になっています。
震災後、その直接のつながりによって出前ライヴを行っていたソウル・フラワー・ユニオン。
私はツイッターでその様子を追ってまとめを作っていました。
Togetter-【ソウル・フラワーみちのく旅団】被災地出前ツアーまとめのまとめ
まとめ作業の途中、あるツイートが目に入りました。
それは、桃梨のメンバーふたりを描いたイラストでした。
描いたのは女川町の高校2年生の女の子。この出前ライヴを見て、いたく感動した様子でした。
とてもあたたかい色使いの、やさしくてとってもいい笑顔の素敵な絵。
なんだかとっても心が揺さぶられて、普段あんまり知らない人に絡んでいったりできない私ですが、思わず非公式RTでコメントを送ってしまいました。
そしたらすごく喜んでくれて、ああ、想いを伝えてよかったなあ。と思いました。
私はその子に何があったかなんてわからないけれど、その子のツイートを見ただけで、相当の過酷な体験をしたのが伝わってきました。
[もう家族が離れ離れになるのはやだ。もう死体見るのやだ。もう友達亡くすのやだ。もう家無くすのやだ。もう地震は嫌だ…]
私の半分くらいの歳のこの子がどれだけ怖い思いをしたんだろう。どれだけ悲しい思いをしたんだろう。
それでもその子の描く絵はとってもやさしくてあったかくて。
もう切なくて涙が出て仕方がありませんでした。
起こった被害が甚大すぎて、メディアからはひとりひとりの声は聞こえてこない。
でも、これだけの思いをした人が、もう何万人何十万人といるのだという事実が改めて真に迫ってきて、はっとした思いでした。
■
その後ツイッターでやりとりするようになって、3ヶ月ほども経った10月のある日、とうとうこの子に会うために女川町に行きました。
早朝鶴岡を出て、バスで仙台へ。そこで友人達と合流して、友人の運転する車で女川へ。
松島を過ぎて石巻に入る辺りから世界が一変していました。
8月に一度訪れた時と違うのは、仮設住宅の建設・入居が進んでいたことくらい。
「あそこうちの両親が入った仮設」と友人のひとりがが指差しました。ちなみに仙台在住のその人のアパートの窓ガラスは地震によって割れたまんま。
彼女が今高校生パーソナリティーとして頑張ってる「女川さいがいFM」のある女川第二小学校で待ち合わせ。車の中で着いた旨をメールして待っていると、ひとりの女の子が転がるようにして走っていくのが見えました。
もしかして…と名前を呼ぶと、その子が振り向いてこちらへ向かって走ってきました。
目をきらきらさせて色白な顔の頬をピンクに上気させたその子は、「お会いしたら飛びついちゃいます☆」と言っていたけど、実際には、一瞬戸惑ったように足を止めました。あつかましい我々はかまわずその手をとってハグ…!
その子を乗せてこの日のもうひとつの目的地、「蒲鉾本舗高政」さんへ。
震災当時からすると「だいぶ片付いた」道を車で行く途中、彼女が「ここにお母さんの美容院があったんです」と窓の外を指差しました。
そこには何もありませんでした。
わずかにコンクリートの土台が残るだけ。
そこは来る時にも通った道で、よそから来た私には「何も無い」としか思わなかった場所。
ショックでした。やっぱり私は何も分かっちゃいなかった。
「何も無い」だなんて、当事者じゃないから思ってしまえること。
そこには確かに彼女や、家族の営みがあった。そこで生きる人がいた。
そんな当たり前のことが、彼女の言葉ではじめて実感できた気がしました。
同時に、彼女が今置かれている状況を、文字のやりとりだけではわからない部分をはっきりと目の当たりにした瞬間でした。
ほんの17歳の彼女が直面している現実。
■
程なく高政さんに到着。
震災で建設が中断していた新工場と新店舗がようやくこの9月にオープンしたばかり。
真新しい立派な建物に、興奮して写真を撮っていたら、見知らぬおじさんが「写真とってくれてありがとう!」と私たちに声をかけ、店の中に入っていきました。
きっと地元の人だったんだろうな。この店のオープンがすごくすごく嬉しかったんだろうな。
店内にてウハウハとお買い物と工場見学、そしてここでは笹かまの手焼き体験ができるのです…!
串に刺された生の笹かまを囲炉裏にかざして10分…焼きたてのかまぼこのそれはもうおいしいったらなかったです。
「あ、かまぼこって魚からできてるんだ」とハッとさせられるようなお味。
目をつぶって食べたら「焼き魚?」って思ってしまうような、濃厚な魚の味。うめえようめえよ…!!
やがてお別れの時間。必ずまた会いに来るよと約束しました。
■
ツイッター上に彼女が上げた一枚の絵からつながった不思議なご縁。
彼女があとから語ってくれたことによると、震災後、初めて描いた絵がそれだったと。
ソウルフラワーさんの出前ライヴを見て、彼女が心動かされて描いた絵。それを私が偶然見つけた形なんだけど、今にして思えば、それは彼女の「私はここにいるよ!」という叫びみたいなものだったんじゃないかな。
彼女が女川からそう叫んだから、縁がつながったんじゃないかな。
昔からずっと続いていて、これからもどこかに繋がっていく縁。
でもきっと待っているだけじゃだめなんじゃ駄目で、縁を引き寄せ、固く結ぶのは、ちょっとした勇気や行動だったりするんじゃないのかな。
これからも、彼女に良いご縁がありますようにと願わずにはいられません。
ムダのように思えた時間も、「こんなことしたってなんにもならない・・・」と思えた行動も、こうやっていつか縁として繋がるのなら、捨てたもんではない。
被害があまりに甚大すぎて、それに対して自分があまりにも無力すぎて、その日もやっぱり思ってしまいました。「私にできることなんてひとつもない」
でも、彼女に会って思いました。「そう思うのをまずやめない?」って。
これから、自分にどれほどのことができるのか、できることがあるのかすらわからない。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていよう。
そう、思いました。
なんだか気後れしてしまってあまり写真が撮れなかったのです。
でもまた行きます。何度でも行きます。
この曲は、ライナーノーツやリンク先のインタビュー等で語られている通り、宮城県女川町で起こったあるひとつの「キセキ」によって生まれたつながりが元になっています。
震災後、その直接のつながりによって出前ライヴを行っていたソウル・フラワー・ユニオン。
私はツイッターでその様子を追ってまとめを作っていました。
Togetter-【ソウル・フラワーみちのく旅団】被災地出前ツアーまとめのまとめ
まとめ作業の途中、あるツイートが目に入りました。
それは、桃梨のメンバーふたりを描いたイラストでした。
描いたのは女川町の高校2年生の女の子。この出前ライヴを見て、いたく感動した様子でした。
とてもあたたかい色使いの、やさしくてとってもいい笑顔の素敵な絵。
なんだかとっても心が揺さぶられて、普段あんまり知らない人に絡んでいったりできない私ですが、思わず非公式RTでコメントを送ってしまいました。
そしたらすごく喜んでくれて、ああ、想いを伝えてよかったなあ。と思いました。
私はその子に何があったかなんてわからないけれど、その子のツイートを見ただけで、相当の過酷な体験をしたのが伝わってきました。
[もう家族が離れ離れになるのはやだ。もう死体見るのやだ。もう友達亡くすのやだ。もう家無くすのやだ。もう地震は嫌だ…]
私の半分くらいの歳のこの子がどれだけ怖い思いをしたんだろう。どれだけ悲しい思いをしたんだろう。
それでもその子の描く絵はとってもやさしくてあったかくて。
もう切なくて涙が出て仕方がありませんでした。
起こった被害が甚大すぎて、メディアからはひとりひとりの声は聞こえてこない。
でも、これだけの思いをした人が、もう何万人何十万人といるのだという事実が改めて真に迫ってきて、はっとした思いでした。
■
その後ツイッターでやりとりするようになって、3ヶ月ほども経った10月のある日、とうとうこの子に会うために女川町に行きました。
早朝鶴岡を出て、バスで仙台へ。そこで友人達と合流して、友人の運転する車で女川へ。
松島を過ぎて石巻に入る辺りから世界が一変していました。
8月に一度訪れた時と違うのは、仮設住宅の建設・入居が進んでいたことくらい。
「あそこうちの両親が入った仮設」と友人のひとりがが指差しました。ちなみに仙台在住のその人のアパートの窓ガラスは地震によって割れたまんま。
彼女が今高校生パーソナリティーとして頑張ってる「女川さいがいFM」のある女川第二小学校で待ち合わせ。車の中で着いた旨をメールして待っていると、ひとりの女の子が転がるようにして走っていくのが見えました。
もしかして…と名前を呼ぶと、その子が振り向いてこちらへ向かって走ってきました。
目をきらきらさせて色白な顔の頬をピンクに上気させたその子は、「お会いしたら飛びついちゃいます☆」と言っていたけど、実際には、一瞬戸惑ったように足を止めました。あつかましい我々はかまわずその手をとってハグ…!
その子を乗せてこの日のもうひとつの目的地、「蒲鉾本舗高政」さんへ。
震災当時からすると「だいぶ片付いた」道を車で行く途中、彼女が「ここにお母さんの美容院があったんです」と窓の外を指差しました。
そこには何もありませんでした。
わずかにコンクリートの土台が残るだけ。
そこは来る時にも通った道で、よそから来た私には「何も無い」としか思わなかった場所。
ショックでした。やっぱり私は何も分かっちゃいなかった。
「何も無い」だなんて、当事者じゃないから思ってしまえること。
そこには確かに彼女や、家族の営みがあった。そこで生きる人がいた。
そんな当たり前のことが、彼女の言葉ではじめて実感できた気がしました。
同時に、彼女が今置かれている状況を、文字のやりとりだけではわからない部分をはっきりと目の当たりにした瞬間でした。
ほんの17歳の彼女が直面している現実。
■
程なく高政さんに到着。
震災で建設が中断していた新工場と新店舗がようやくこの9月にオープンしたばかり。
真新しい立派な建物に、興奮して写真を撮っていたら、見知らぬおじさんが「写真とってくれてありがとう!」と私たちに声をかけ、店の中に入っていきました。
きっと地元の人だったんだろうな。この店のオープンがすごくすごく嬉しかったんだろうな。
店内にてウハウハとお買い物と工場見学、そしてここでは笹かまの手焼き体験ができるのです…!
串に刺された生の笹かまを囲炉裏にかざして10分…焼きたてのかまぼこのそれはもうおいしいったらなかったです。
「あ、かまぼこって魚からできてるんだ」とハッとさせられるようなお味。
目をつぶって食べたら「焼き魚?」って思ってしまうような、濃厚な魚の味。うめえようめえよ…!!
やがてお別れの時間。必ずまた会いに来るよと約束しました。
■
ツイッター上に彼女が上げた一枚の絵からつながった不思議なご縁。
彼女があとから語ってくれたことによると、震災後、初めて描いた絵がそれだったと。
ソウルフラワーさんの出前ライヴを見て、彼女が心動かされて描いた絵。それを私が偶然見つけた形なんだけど、今にして思えば、それは彼女の「私はここにいるよ!」という叫びみたいなものだったんじゃないかな。
彼女が女川からそう叫んだから、縁がつながったんじゃないかな。
昔からずっと続いていて、これからもどこかに繋がっていく縁。
でもきっと待っているだけじゃだめなんじゃ駄目で、縁を引き寄せ、固く結ぶのは、ちょっとした勇気や行動だったりするんじゃないのかな。
これからも、彼女に良いご縁がありますようにと願わずにはいられません。
ムダのように思えた時間も、「こんなことしたってなんにもならない・・・」と思えた行動も、こうやっていつか縁として繋がるのなら、捨てたもんではない。
被害があまりに甚大すぎて、それに対して自分があまりにも無力すぎて、その日もやっぱり思ってしまいました。「私にできることなんてひとつもない」
でも、彼女に会って思いました。「そう思うのをまずやめない?」って。
これから、自分にどれほどのことができるのか、できることがあるのかすらわからない。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていよう。
そう、思いました。
なんだか気後れしてしまってあまり写真が撮れなかったのです。
でもまた行きます。何度でも行きます。
ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニアルバム「キセキの渚」の限定特典ステッカーのイラストとデザインを担当させていただきましたー。
いろんな人と人とのつながりやご縁が、このお話を持ってきてくれました。
その時々に私のことを思い出していただけたってことがまず嬉しいです。ありがとうございます。
震災後、何度も目にして、自分でも体験した数々の分断…。
それでも、人と出会うこと、つながることをあきらめなくて本当によかった、と思うのです。
■
もともとこのデザインは、私が脱原発デモ用のプラカードのために作ったものでした。
各地で行われていた脱原発デモですが、私もその主旨に賛同しながらもなかなか地方からデモに参加することができなくて悶々としておりました。
それでなくてもあの頃、原発の話するだけでなんか険悪になってしまって、どうしていいのかわからなかった。でも原発のことは絶対に認めたくなくて、この世界をどうしても 諦めたくなくなかった。
そんな折、ツイッターでフォローさせていただいている方が、デモ用のプラカードをネット上にアップしていて、ある日、その方がプラカード作成者の方からのメッセージとして「反原発・脱原発メッセージをボードにデザインします」とのツイートをしてらっしゃいました。
それを見て、(かなり勇気がいったのですが)以前に描いたイラストを素材として使ってもらえないだろうか、とのメンションを飛ばしてみました。
そして出来たのが以下のプラカードです。(文字を入れてもらいました)
http://twitpic.com/7271du
自分でもデザインしてアップしてもらいました。
この間にいろいろあって、ある日突然東京に行って自分でもデモに参加、自分で作ったプラカードを掲げるとういうような羞恥プレイ的な出来事もあったのですが、それはまた別のお話…。
そんな折、ソウルフラワー関係で知り合ったあるライターの方の発案でこのようなプラカードが出来ました。
(フレーズとバンド名の使用と似顔絵を描いてプラカードにする許可はご本人に頂いての上の作成です)
■
その後、ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニ・アルバムのリリースが発表され、私も一ファンとして普通に心待ちにしておりました。
そんな矢先、突然舞い込んできたのが今回のご依頼でした。
しかも、中川敬さんから直接。
ああ、この人たちは本当に、有名・無名、中央・辺境の別がないのだ、ちゃんと自分で見て聞いて話して触れて、そして作っているのだ、と震えながら電話を切ったのを覚えていますというか忘れられません。
ただのいちファンであるわたくしですが、中川さんはちゃんと目を見て対等にお話をしてくださる方です。
私の言うことも流さず聞いてくださる。
というか、中川さんだけでなくソウルフラワーのメンバーの方はみんなそう。
そして、スタッフの方や、関わっている周りの方々も、みんなそう。優しくて、かっこいい大人の人たち。
■
完成までに中川さんやスタッフの方を何度もてこずらせてしまいましたが、なんとか完成したそのステッカー。
その後、このミニアルバムとステッカーを手にした方たちが、ツイッター等で写真をアップしてらっしゃるのを見ました。今まで自分の机の上だけで見ていたものが、様々なところでたくさんの人の目に触れているというのはとても不思議な感覚でした。
そのひとりひとりにありがとうございます!とメンションを飛ばしたい気持ちでいっぱいだったのですが、いやいやこれはソウルフラワーさんのステッカーだから…と出しゃばる心を抑えました。
プラカードにしてもそうです。
たくさんの方が私の作ったプラカードをデモで使ってくださいました。
私が行けなかったデモでも、私の思いがそこにあるようで、それはとっても嬉しいことでした。
余談になりますが、脱原発ガールと名付けられたこの娘を描いたのは、当初、脱原発デモを取り巻いていた殺伐とした空気がなんだかもーとってもたまらなかったからです。(最近はそうでもないですが)
笑顔のかわいい女の子のプラカードがあったら…女の子から笑いかけられたら、つい笑い返しちゃわないだろうか…?という気持ちからでした。
ステッカーも、プラカードも、手にしてくれた皆様にここでお礼を申しあげたいです。
そしてステッカー完成まで関わってくれた皆様、様々なご縁で繋がった皆様にも心からの感謝を。
本当にありがとうございました。
■
もうひとつこれに関して書かなければならないことがあります。
長いのでふたつにわけます。
いろんな人と人とのつながりやご縁が、このお話を持ってきてくれました。
その時々に私のことを思い出していただけたってことがまず嬉しいです。ありがとうございます。
震災後、何度も目にして、自分でも体験した数々の分断…。
それでも、人と出会うこと、つながることをあきらめなくて本当によかった、と思うのです。
■
もともとこのデザインは、私が脱原発デモ用のプラカードのために作ったものでした。
各地で行われていた脱原発デモですが、私もその主旨に賛同しながらもなかなか地方からデモに参加することができなくて悶々としておりました。
それでなくてもあの頃、原発の話するだけでなんか険悪になってしまって、どうしていいのかわからなかった。でも原発のことは絶対に認めたくなくて、この世界をどうしても 諦めたくなくなかった。
そんな折、ツイッターでフォローさせていただいている方が、デモ用のプラカードをネット上にアップしていて、ある日、その方がプラカード作成者の方からのメッセージとして「反原発・脱原発メッセージをボードにデザインします」とのツイートをしてらっしゃいました。
それを見て、(かなり勇気がいったのですが)以前に描いたイラストを素材として使ってもらえないだろうか、とのメンションを飛ばしてみました。
そして出来たのが以下のプラカードです。(文字を入れてもらいました)
http://twitpic.com/7271du
自分でもデザインしてアップしてもらいました。
この間にいろいろあって、ある日突然東京に行って自分でもデモに参加、自分で作ったプラカードを掲げるとういうような羞恥プレイ的な出来事もあったのですが、それはまた別のお話…。
そんな折、ソウルフラワー関係で知り合ったあるライターの方の発案でこのようなプラカードが出来ました。
(フレーズとバンド名の使用と似顔絵を描いてプラカードにする許可はご本人に頂いての上の作成です)
■
その後、ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニ・アルバムのリリースが発表され、私も一ファンとして普通に心待ちにしておりました。
そんな矢先、突然舞い込んできたのが今回のご依頼でした。
しかも、中川敬さんから直接。
ああ、この人たちは本当に、有名・無名、中央・辺境の別がないのだ、ちゃんと自分で見て聞いて話して触れて、そして作っているのだ、と震えながら電話を切ったのを覚えていますというか忘れられません。
ただのいちファンであるわたくしですが、中川さんはちゃんと目を見て対等にお話をしてくださる方です。
私の言うことも流さず聞いてくださる。
というか、中川さんだけでなくソウルフラワーのメンバーの方はみんなそう。
そして、スタッフの方や、関わっている周りの方々も、みんなそう。優しくて、かっこいい大人の人たち。
■
完成までに中川さんやスタッフの方を何度もてこずらせてしまいましたが、なんとか完成したそのステッカー。
その後、このミニアルバムとステッカーを手にした方たちが、ツイッター等で写真をアップしてらっしゃるのを見ました。今まで自分の机の上だけで見ていたものが、様々なところでたくさんの人の目に触れているというのはとても不思議な感覚でした。
そのひとりひとりにありがとうございます!とメンションを飛ばしたい気持ちでいっぱいだったのですが、いやいやこれはソウルフラワーさんのステッカーだから…と出しゃばる心を抑えました。
プラカードにしてもそうです。
たくさんの方が私の作ったプラカードをデモで使ってくださいました。
私が行けなかったデモでも、私の思いがそこにあるようで、それはとっても嬉しいことでした。
余談になりますが、脱原発ガールと名付けられたこの娘を描いたのは、当初、脱原発デモを取り巻いていた殺伐とした空気がなんだかもーとってもたまらなかったからです。(最近はそうでもないですが)
笑顔のかわいい女の子のプラカードがあったら…女の子から笑いかけられたら、つい笑い返しちゃわないだろうか…?という気持ちからでした。
ステッカーも、プラカードも、手にしてくれた皆様にここでお礼を申しあげたいです。
そしてステッカー完成まで関わってくれた皆様、様々なご縁で繋がった皆様にも心からの感謝を。
本当にありがとうございました。
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もうひとつこれに関して書かなければならないことがあります。
長いのでふたつにわけます。