いらっしゃいませ。
「INGER」(インガー)は犬鏡月によるイラスト展示・活動情報サイトです。
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ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニアルバム「キセキの渚」の限定特典ステッカーのイラストとデザインを担当させていただきましたー。
いろんな人と人とのつながりやご縁が、このお話を持ってきてくれました。
その時々に私のことを思い出していただけたってことがまず嬉しいです。ありがとうございます。
震災後、何度も目にして、自分でも体験した数々の分断…。
それでも、人と出会うこと、つながることをあきらめなくて本当によかった、と思うのです。
■
もともとこのデザインは、私が脱原発デモ用のプラカードのために作ったものでした。
各地で行われていた脱原発デモですが、私もその主旨に賛同しながらもなかなか地方からデモに参加することができなくて悶々としておりました。
それでなくてもあの頃、原発の話するだけでなんか険悪になってしまって、どうしていいのかわからなかった。でも原発のことは絶対に認めたくなくて、この世界をどうしても 諦めたくなくなかった。
そんな折、ツイッターでフォローさせていただいている方が、デモ用のプラカードをネット上にアップしていて、ある日、その方がプラカード作成者の方からのメッセージとして「反原発・脱原発メッセージをボードにデザインします」とのツイートをしてらっしゃいました。
それを見て、(かなり勇気がいったのですが)以前に描いたイラストを素材として使ってもらえないだろうか、とのメンションを飛ばしてみました。
そして出来たのが以下のプラカードです。(文字を入れてもらいました)
http://twitpic.com/7271du
自分でもデザインしてアップしてもらいました。
この間にいろいろあって、ある日突然東京に行って自分でもデモに参加、自分で作ったプラカードを掲げるとういうような羞恥プレイ的な出来事もあったのですが、それはまた別のお話…。
そんな折、ソウルフラワー関係で知り合ったあるライターの方の発案でこのようなプラカードが出来ました。
(フレーズとバンド名の使用と似顔絵を描いてプラカードにする許可はご本人に頂いての上の作成です)
■
その後、ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニ・アルバムのリリースが発表され、私も一ファンとして普通に心待ちにしておりました。
そんな矢先、突然舞い込んできたのが今回のご依頼でした。
しかも、中川敬さんから直接。
ああ、この人たちは本当に、有名・無名、中央・辺境の別がないのだ、ちゃんと自分で見て聞いて話して触れて、そして作っているのだ、と震えながら電話を切ったのを覚えていますというか忘れられません。
ただのいちファンであるわたくしですが、中川さんはちゃんと目を見て対等にお話をしてくださる方です。
私の言うことも流さず聞いてくださる。
というか、中川さんだけでなくソウルフラワーのメンバーの方はみんなそう。
そして、スタッフの方や、関わっている周りの方々も、みんなそう。優しくて、かっこいい大人の人たち。
■
完成までに中川さんやスタッフの方を何度もてこずらせてしまいましたが、なんとか完成したそのステッカー。
その後、このミニアルバムとステッカーを手にした方たちが、ツイッター等で写真をアップしてらっしゃるのを見ました。今まで自分の机の上だけで見ていたものが、様々なところでたくさんの人の目に触れているというのはとても不思議な感覚でした。
そのひとりひとりにありがとうございます!とメンションを飛ばしたい気持ちでいっぱいだったのですが、いやいやこれはソウルフラワーさんのステッカーだから…と出しゃばる心を抑えました。
プラカードにしてもそうです。
たくさんの方が私の作ったプラカードをデモで使ってくださいました。
私が行けなかったデモでも、私の思いがそこにあるようで、それはとっても嬉しいことでした。
余談になりますが、脱原発ガールと名付けられたこの娘を描いたのは、当初、脱原発デモを取り巻いていた殺伐とした空気がなんだかもーとってもたまらなかったからです。(最近はそうでもないですが)
笑顔のかわいい女の子のプラカードがあったら…女の子から笑いかけられたら、つい笑い返しちゃわないだろうか…?という気持ちからでした。
ステッカーも、プラカードも、手にしてくれた皆様にここでお礼を申しあげたいです。
そしてステッカー完成まで関わってくれた皆様、様々なご縁で繋がった皆様にも心からの感謝を。
本当にありがとうございました。
■
もうひとつこれに関して書かなければならないことがあります。
長いのでふたつにわけます。
いろんな人と人とのつながりやご縁が、このお話を持ってきてくれました。
その時々に私のことを思い出していただけたってことがまず嬉しいです。ありがとうございます。
震災後、何度も目にして、自分でも体験した数々の分断…。
それでも、人と出会うこと、つながることをあきらめなくて本当によかった、と思うのです。
■
もともとこのデザインは、私が脱原発デモ用のプラカードのために作ったものでした。
各地で行われていた脱原発デモですが、私もその主旨に賛同しながらもなかなか地方からデモに参加することができなくて悶々としておりました。
それでなくてもあの頃、原発の話するだけでなんか険悪になってしまって、どうしていいのかわからなかった。でも原発のことは絶対に認めたくなくて、この世界をどうしても 諦めたくなくなかった。
そんな折、ツイッターでフォローさせていただいている方が、デモ用のプラカードをネット上にアップしていて、ある日、その方がプラカード作成者の方からのメッセージとして「反原発・脱原発メッセージをボードにデザインします」とのツイートをしてらっしゃいました。
それを見て、(かなり勇気がいったのですが)以前に描いたイラストを素材として使ってもらえないだろうか、とのメンションを飛ばしてみました。
そして出来たのが以下のプラカードです。(文字を入れてもらいました)
http://twitpic.com/7271du
自分でもデザインしてアップしてもらいました。
この間にいろいろあって、ある日突然東京に行って自分でもデモに参加、自分で作ったプラカードを掲げるとういうような羞恥プレイ的な出来事もあったのですが、それはまた別のお話…。
そんな折、ソウルフラワー関係で知り合ったあるライターの方の発案でこのようなプラカードが出来ました。
(フレーズとバンド名の使用と似顔絵を描いてプラカードにする許可はご本人に頂いての上の作成です)
■
その後、ソウル・フラワー・ユニオンのニュー・ミニ・アルバムのリリースが発表され、私も一ファンとして普通に心待ちにしておりました。
そんな矢先、突然舞い込んできたのが今回のご依頼でした。
しかも、中川敬さんから直接。
ああ、この人たちは本当に、有名・無名、中央・辺境の別がないのだ、ちゃんと自分で見て聞いて話して触れて、そして作っているのだ、と震えながら電話を切ったのを覚えていますというか忘れられません。
ただのいちファンであるわたくしですが、中川さんはちゃんと目を見て対等にお話をしてくださる方です。
私の言うことも流さず聞いてくださる。
というか、中川さんだけでなくソウルフラワーのメンバーの方はみんなそう。
そして、スタッフの方や、関わっている周りの方々も、みんなそう。優しくて、かっこいい大人の人たち。
■
完成までに中川さんやスタッフの方を何度もてこずらせてしまいましたが、なんとか完成したそのステッカー。
その後、このミニアルバムとステッカーを手にした方たちが、ツイッター等で写真をアップしてらっしゃるのを見ました。今まで自分の机の上だけで見ていたものが、様々なところでたくさんの人の目に触れているというのはとても不思議な感覚でした。
そのひとりひとりにありがとうございます!とメンションを飛ばしたい気持ちでいっぱいだったのですが、いやいやこれはソウルフラワーさんのステッカーだから…と出しゃばる心を抑えました。
プラカードにしてもそうです。
たくさんの方が私の作ったプラカードをデモで使ってくださいました。
私が行けなかったデモでも、私の思いがそこにあるようで、それはとっても嬉しいことでした。
余談になりますが、脱原発ガールと名付けられたこの娘を描いたのは、当初、脱原発デモを取り巻いていた殺伐とした空気がなんだかもーとってもたまらなかったからです。(最近はそうでもないですが)
笑顔のかわいい女の子のプラカードがあったら…女の子から笑いかけられたら、つい笑い返しちゃわないだろうか…?という気持ちからでした。
ステッカーも、プラカードも、手にしてくれた皆様にここでお礼を申しあげたいです。
そしてステッカー完成まで関わってくれた皆様、様々なご縁で繋がった皆様にも心からの感謝を。
本当にありがとうございました。
■
もうひとつこれに関して書かなければならないことがあります。
長いのでふたつにわけます。
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先日、地元の大学の学生ボランティアグループの皆さんと共に東松島でボランティア作業をしてきました。
「走れ!!わぁのチャリ」
http://bikesofhope.web.fc2.com/index.html
友人のブログで彼らを知って、以前自転車を引き取っていただいたことがあり、その後も活動の様子などをツイッター等で拝見していました。
そこで「日帰りボランティアバス」という企画があるのを知り、一般からも募集していたので思い切って参加してみることにしました。大変お世話になりました…。
早朝鶴岡を出発して東松島へ。
現地で作業を続けてらっしゃる方たちと合流して朝礼。その後二手に分かれて現場に行って作業をしました。
私は個人宅の中の泥そうじをしてきました。
長靴のままテラスからおうちの中に入っていったのですが、この時点でちょっと衝撃を受けました。
もちろんそうするしかないわけですが、普通ではありえないことだったので。
小さいことのようですが、「普通では考えられないことが起こったのだ」ということを改めて感じました。
だいたいの泥出しは終わっているとのことでしたが、すきまというすきま、亀裂という亀裂に泥や流れてきた草や木の枝がびっしりでした。そのすきまや亀裂も津波でできたものだと想像しました。
おうちの外は遠くまで見渡せ、向こうに小さく体育館のような建物が見えました。
休憩時間に外に出てそちらを眺めていたら、この場所一帯がもともと住宅街であったことを教えてもらいました。少し前までは半壊、前回のおうちが立ち並んでいたが、すべて取り壊して現在は更地なのだと。
一心不乱に掃除して帰りの途。
初めてのボランティア作業でしたが、やっぱりこれは、大変なことだと思いました。
当たり前のことですが、遊びじゃない。
私のようなにわかボランティアは足手まとい寸前でした。
■
震災から8ヶ月が経過し、震災関連の報道もだいぶ減りました。
私が住んでいる東北はまだしも、関東、関西方面などでは原発事故関連のニュースはともかく、現地の様子などはほとんどTVではやってないと聞きました。
それでも、「被災地のために何かしたい」と思ってらっしゃる方はまだまだたくさんいらっしゃると思います。
そして、現地でもまだまだボランティアの手は必要とされています。
かといって、いきなりボランティア作業といっても、なかなか難しいものがあると思います。
機会があっても、やりなれていないことをするのは本当に大変。
今回そのことを身を持って経験しました。
ではどうすればいいのか。
やっぱり何も出来ないのか。
■
宮城県女川町に「蒲鉾本舗高政」というかまぼこ屋さんがあります。
震災直後から損傷が少なかった工場をいち早く稼働させ、かまぼこを無料配布して被災者の命を繋ぎ、今後も地元女川町の復興を支援していくことを発表していらっしゃいます。
ツイッターを通じて知り、私も2度ほどお店にお邪魔しました。
その高政さんが、震災後8ヶ月経って思うことを次のように書いてらっしゃいました。
震災から8か月経過し、今被災地支援について思うこと
これを書き、発表するに当たっては相当の葛藤があり、勇気が要ったことと思います。
でも、大事なことがたくさん書いてあります。
今回私が体験したことで言えば、
ボランティア作業ができなくても、東北に旅行に行って現地でお土産を買ったりすることはできる。
旅行に行けなくても、通販で東北の商品を買うことはできる。
何も買えなくても、現地の様子を気にかけて、日々の話題に出すことはできる。
私も、震災後「私には何もできない…」と無力感を感じていたひとりです。
でも、あるきっかけでまずそう思うことをやめました。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていようと。
そのきっかけになってくれたのは、女川町に住むひとりの高校生の女の子でした。
いずれまた書こうと思います。
ほんとにね、その子の笑顔の前では私の躊躇も悩みもハナクソのようなものなんだよ…。
「走れ!!わぁのチャリ」
http://bikesofhope.web.fc2.com/index.html
友人のブログで彼らを知って、以前自転車を引き取っていただいたことがあり、その後も活動の様子などをツイッター等で拝見していました。
そこで「日帰りボランティアバス」という企画があるのを知り、一般からも募集していたので思い切って参加してみることにしました。大変お世話になりました…。
早朝鶴岡を出発して東松島へ。
現地で作業を続けてらっしゃる方たちと合流して朝礼。その後二手に分かれて現場に行って作業をしました。
私は個人宅の中の泥そうじをしてきました。
長靴のままテラスからおうちの中に入っていったのですが、この時点でちょっと衝撃を受けました。
もちろんそうするしかないわけですが、普通ではありえないことだったので。
小さいことのようですが、「普通では考えられないことが起こったのだ」ということを改めて感じました。
だいたいの泥出しは終わっているとのことでしたが、すきまというすきま、亀裂という亀裂に泥や流れてきた草や木の枝がびっしりでした。そのすきまや亀裂も津波でできたものだと想像しました。
おうちの外は遠くまで見渡せ、向こうに小さく体育館のような建物が見えました。
休憩時間に外に出てそちらを眺めていたら、この場所一帯がもともと住宅街であったことを教えてもらいました。少し前までは半壊、前回のおうちが立ち並んでいたが、すべて取り壊して現在は更地なのだと。
一心不乱に掃除して帰りの途。
初めてのボランティア作業でしたが、やっぱりこれは、大変なことだと思いました。
当たり前のことですが、遊びじゃない。
私のようなにわかボランティアは足手まとい寸前でした。
■
震災から8ヶ月が経過し、震災関連の報道もだいぶ減りました。
私が住んでいる東北はまだしも、関東、関西方面などでは原発事故関連のニュースはともかく、現地の様子などはほとんどTVではやってないと聞きました。
それでも、「被災地のために何かしたい」と思ってらっしゃる方はまだまだたくさんいらっしゃると思います。
そして、現地でもまだまだボランティアの手は必要とされています。
かといって、いきなりボランティア作業といっても、なかなか難しいものがあると思います。
機会があっても、やりなれていないことをするのは本当に大変。
今回そのことを身を持って経験しました。
ではどうすればいいのか。
やっぱり何も出来ないのか。
■
宮城県女川町に「蒲鉾本舗高政」というかまぼこ屋さんがあります。
震災直後から損傷が少なかった工場をいち早く稼働させ、かまぼこを無料配布して被災者の命を繋ぎ、今後も地元女川町の復興を支援していくことを発表していらっしゃいます。
ツイッターを通じて知り、私も2度ほどお店にお邪魔しました。
その高政さんが、震災後8ヶ月経って思うことを次のように書いてらっしゃいました。
震災から8か月経過し、今被災地支援について思うこと
これを書き、発表するに当たっては相当の葛藤があり、勇気が要ったことと思います。
でも、大事なことがたくさん書いてあります。
今回私が体験したことで言えば、
ボランティア作業ができなくても、東北に旅行に行って現地でお土産を買ったりすることはできる。
旅行に行けなくても、通販で東北の商品を買うことはできる。
何も買えなくても、現地の様子を気にかけて、日々の話題に出すことはできる。
私も、震災後「私には何もできない…」と無力感を感じていたひとりです。
でも、あるきっかけでまずそう思うことをやめました。
小さな私には力も金もない。だけど「何もできないから」とそこから目を背けることだけはしないようにしよう。思い上がりでもなんでも「何かできることがあるかもしれない」って思っていようと。
そのきっかけになってくれたのは、女川町に住むひとりの高校生の女の子でした。
いずれまた書こうと思います。
ほんとにね、その子の笑顔の前では私の躊躇も悩みもハナクソのようなものなんだよ…。
そういえば前に東京行ったのもモノノケのライヴでした。
8月の東京はきっと暑い…!(鶴岡も暑いけど)と暑さ対策と汗対策と日焼け対策ばかり講じていたのですが、どっこい雨模様で朝からスゲー寒かったです。
6月のユニオンのライヴにも一緒に行った友人と共にプチ迷子になりながら(私のせい)代々木Zher the ZOOへ(ちなみにずっと読めなかったのですが、ざーざずー、と読むそうです。そして、迷子になりようが無いほど駅前すぐのところにあります)。
■
まず前回に引き続いてのゲストの上間綾乃ちゃん。
オリジナル曲の『夢(いみ)しじく』と沖縄民謡『三村踊り』。
たった2曲だったけど、やはりの存在感!
テーン…と力強く響く三線の音と迫力ある美しい声は、月並みな表現ですが、夢のよう。
「うえのー!!」という客席からのコールに「『上間』やしー!」と返す場面も…(笑)。
前も思ったけど、唄うと迫力なのに、しゃべるとほわほわしてて実にのんびりしてて可愛らしい感じなんだ・・・。
■
続いて遠藤ミチロウさん。
ミチロウさんは私の地元鶴岡でも何度かライヴをやっていて(今年9月にも!)、私も足を運んでいました。
ゲストに決まったときから、ミチロウ初体験の友人に(分かったような顔で)「すごいから!とにかくすごいから!」を繰り返すほど期待大でした。
一曲目の『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』から会場の空気は一変!
つぶてのように繰り出される歌詞と引き裂かれるような声、今日は何本弦切るんだ!?という勢いでかき鳴らされるギター。
もうミチロウさんしか見えない!というくらいに釘付けになりました(いや、実際にミチロウさんしかいないんだけど)。
毒と痛みを含んだ歌とは裏腹に、丁寧に語られるMCは、氏の故郷福島のこと。
先日の「プロジェクトFUKUSHIMA!」の時に帰った生まれ故郷の放射線量が2~4(マイクロシーベルト)もあったという話や「嫌で飛び出した田舎だけど、今は福島のことを思わずにはいられない」「昔遊んだ場所が、もう入ってはいけないような感じの場所になってしまっている」という言葉に胸を締め付けられる。
福島出身でない私には、ミチロウさんの言うことを、本当に理解することはできないかもしれないし、理解したつもりになることもおこがましいと思う。
けど、「故郷」を想う気持ちは私にもわかる。その故郷を(こんな書き方はしたくないけれど)めちゃくちゃにされることを想像すると、やはり苦しい気持ちになった。
でも、ミチロウさんは前をまっすぐ見つめていた。
「原発ブルース」なんて、この人じゃないと歌えないだろう…。
『Just like a boy』(この曲ちょう好き…)、「今日はモノノケと一緒なので、沖縄っぽい曲をやります」とのMCのあとに披露された『我自由丸』、最後は『父よ、あなたは偉かった』
綾乃ちゃんは三線で、ミチロウさんはギター。
使う楽器も、唄う歌も全然違うんだけど、ひとりでしっかと立って、ひとつの楽器を抱えて唄う姿には何か共通したものを感じたなあ。
■
そしてソウル・フラワー・モノノケ・サミット。
『男はつらいよのテーマ』にのせてメンバー登場。
女性陣が全員着物で華やか~!それぞれ個性的な着こなしでした。(特にうつみようこさんの丈の短い着物がすごくカワイイ!!)
一曲目は宮城民謡「斉太郎節」。
ユニオンのライヴでも演っていたけど、やはりモノノケのチンドンバージョンは更にいい!
自然に「エンヤートットーエンヤートットー」の掛け合いも発生。
「今日は東北の民謡で攻めるで~」の中川さんのMCどおり「ドンパン節」や「弥三郎節」など東北の民謡を多く演っていた。い、いつかモノノケの『花笠音頭』や『庄内おばこ』も聴いてみたい…!
印象的だったのは「100年前の曲とは思えへん」『ああわからない』と『聞け万国の労働者』。
『聞け~』では「守れ命を労働者」と歌詞を変え、何度も繰り返していた。
途中、綾乃ちゃんと英子さんがボーカルをとった「沖縄コーナー」では『海ぬちんぼうら』『安里屋ユンタ』『ヒヤミカチ節』
『満月の夕』では途中で中川さんが後ろのメンバーに向かって手を振って突然演奏を止めた。
その瞬間、客席からの「ラララ…」の声だけになった。
その時気付いたんだけど、客席側も演奏が止まって突然唄いだしたという感じじゃなくて、ずっとそのままの音量だった。ずっとみんなで唄ってたんだ。
『インターナショナル』で突然終わろうとする中川さんに、戸惑いながらも一度舞台袖にはけるメンバーが袖のところで詰まったり、ようこさんの「足りへん!なんか足りへん!」というツッコミに「忘れてくれ」と中川さんが返したりする冴えた場面を挟んで、ライヴは後半戦へ。
中川さんが三線をアコギに持ち替えて、ツアータイトルにもなっている『おいらの船は300とん』とやっと聴けた!『アンパンマン・マーチ』!!
『アンパンマン・マーチ』は「時は はやく すぎる 光る 星は 消える だから 君は いくんだ ほほえんで」のところでぐぐっと来る。中川はん、アンパンマンは君さ!!
MCで語られるのは被災地出前ツアーのことや、「ソウルフラワー震災基金」のこと。
英子さんが「沖縄で被災地に送るための車を準備していたのに、台風で飛ばされてしまい、却って被災地の方に心配されてしまった」という話をしたとき、中川さんが「誰か(車を)輸送したいっていう人おったら言ってや。あるいは運転していくとか」と気軽な感じで客席に向かって話していた。
「被災地支援」というとついつい堅苦しく考えがちだけど、全然そんなことはなくて、人と人が繋がってさえいれば、自然と自分の持ち場でできることは見つかるんじゃないか。まだまだやらなくちゃいけないことはたくさんあって、その中に自分ができることはいっぱいあるんじゃないか、と思えた。
アンコールはミチロウさんが再登場しての『天国の扉』
これがすんごく良かった!ミチロウさんがひとりで唄ってるときは「突き刺さる」感じなんだけど、モノノケバージョンになるとそこに色彩と温かみが加わって、あとでミチロウさんがツイッターで言ってた『極楽の扉』って言葉がぴったり!てか中川さんとようこさんがコーラスしてるってこれはもう音源化希望したい!
そしてミチロウさんの「原発社会から卒業しましょう!」の言葉のあとの『仰げば尊し』。
2曲もやるとは(何故か)思ってなかったし、ここでの『仰げば尊し』だったので脳から明らかに変な汁が出て思わず「うおー」と声を上げてしまった…。
最後はダブルアンコール『さよなら港』で締め!!
いくつもの唄があって、いくつもの笑顔があった。
その笑顔はきっと何倍もの痛み悲しみ怒りを孕んでる。
それすら丸ごと飲み込んで、みんな、唄い踊った。そういう夜でした。
■
あ、MCで中川さんが「遠くから来た人とかおるの?みんな東京の人ばっかり?遠くから来たって人ー」と言ったとき、私含めあちこちで手が挙がりました。
「福岡」「岡山」の声にそれぞれの土地にちなんだことで返す中川氏。
わー、私より全然遠くから来てる人がいるーとちょっとひるんだのですが、「そこは?」の声に「や、やまがた…」と返したところ、「山形…もしかして…」とにやっとする中川氏。
「そ、そのもしかしてです…」と答えると「いつもTogetterまとめてくれてる人やね」とご紹介(?)いただきました。犬、顔真っ赤。
■
この日はライヴの前と後、いろんな方にお会い出来ました。
ツイッターでしか交流したことない方にも直接お会いしてお話したりできたのがとても嬉しかったです。
そしてその全員がすごく素敵な大人だった…。
みんな、自分の持ち場で最大限努力しているひとばかり。だからみんな輝いている。
そして、私のような野良犬にもとてもやさしい…。
私もこういう大人になりたい、ならなきゃ。と、思いました。
(年齢的にはもうだいぶ大人なのですが)
■
あ!先日のフリマの売上を、この日ソウルフラワー震災基金に募金させていただきました。
ありがとうございました!